瞑想教室

 ■瞑想を人に勧められなくなった理由

 僕は、TM瞑想を習い、ずーっと、やっているわけですが、何年か前から、その受講料が、とんでもなく高額になってしまって、人に勧められなくなりました。

 僕が学んだときは、10万円ぐらだったと記憶しています。
 それでも、安くはありませんが、今は、その3倍ぐらい、するはずです。
「これ、いいですよ」と、気軽に、人に勧められる金額では、なくなってしまいました。

  

 ◆瞑想を習うのにかかる費用は?

 先日も、ある瞑想指導者の本(TMではない)を読んでいたら、なかなか、いいことが書いてあったので、彼女のホームページを見てみました。すると、
「初心者コース15万円也」
 という、瞑想の受講料の案内が。(笑)

 もちろん、指導には、それなりの労力を必要とするわけですし、「タダでOKです」なんて言ったら、興味本位の人を含め、いろんな人が押し寄せるかもしれませんから、金額を設定することは、悪いことではないと思います。

 でも、瞑想の指導が、極端に商売優先になってしまったとしたら、それは、どうかと思います。
 習いたい人が真剣なら、しかし、彼にお金がないのなら、タダで教えても、いいのではないか、と思うわけです。

 ただ、瞑想の本場のインドでさえ、瞑想を習うには、かなりのお金が必要なのだそうです。

 瞑想の指導者にも、生活があるわけだし、習う方も、お礼をしたいという気持が出てくるのは当然。
 となれば、金銭のやりとりは、やむをえないのでしょうが、できるだけ安くして、より多くの人が実践できるようにして欲しいと思うのは、僕だけでしょうか。

 (c)長谷川 雅一 /本記事の転用、転載を固く禁じます。

 

 

カテゴリー: 瞑想者の日記 — admin 11:58 PM  コメント (0)

天上の音楽

 ■瞑想中に聞こえてきた素晴らしい音楽

 最近、瞑想していたときのことです。
 突然、不思議な音楽が聞こえてきました。それは、とても心地よく、美しい調べでした。

「これは、記録しておくべきだ」
 と考えた僕は、瞑想を終えたあと、メロディを書きとめようと、5線紙を探しましたが、見あたりません。
 しかたがないので、A4用紙に、手書きで、ささっと5線を引いて、そこに、聴いたメロディを書き留めました。
 そして、その日は、そのまま、寝てしまいました。

 次の日、前日、書きとめたメロディを、ピアノで弾いてみました。
 そしたら、別に、大して、すばらしいメロディでも、なんでもなく、まあ、ありふれた感じの曲だったのです。
 瞑想状態で聴いたときには、確かに、それは名曲だったのに。(笑)

 要するに、同じ音楽でも、聴こえ方が違う、ということですね。
 同じ、ドレミでも、心の状態によって、それは、まるで、別の音楽のように聴こえる、ということです。
 ちょっと、面白い体験でした。

 (C)長谷川 雅一 /本記事の転用、転載を固く禁じます。

カテゴリー: 瞑想者の日記 — admin 2:59 PM  コメント (0)

特別な人たち

 ■この世に特別な人なんていない

 ときどき、テレビに、霊能者と呼ばれる人たちが出ていることがあります。

 僕の場合、能動的見るテレビ番組は、非常に限られており、すべて録画して見ます。
 そして、僕が、霊能者の出てくる番組を録画することは、ありません。(笑)
 家族の誰かが、テレビをつけていて、偶然、目にすることがあるわけです。

 そういった番組で、霊能者と呼ばれる人たちは、相当に、ふんぞり返って、ものすごく威張って見えることが多いのですが、あれは、いったい、どういうことでしょうか。
 総理大臣を含めて、政治家さんのほうが、まだ謙虚ですよね。(笑)

 あなたは、なんとかの生まれ変わりです、というような、誰にも証明できないことを「断言」していたり、「すべてお見通し」という感じで、大所高所から、人生のアドバイスをしていたりもします。滑稽だなあ、と思ってしまうのは、僕だけでしょうか。
 彼らは、どうやら、「自分は特別な人間だ」と思っているようです。

 ◆僕の「霊能者」体験

 僕は、かつて、霊能者と呼ばれる人に、霊視なるものを、してもらったことがありました。
 そのときは、あることで悩んでいたので、「もしかしたら、なにか、解決のヒントが得られるかもしれない」と考えて、知り合いに、霊能者を紹介してもらったのです。

 その霊能者は、僕に会うなり、
「あなたは、今日、私が、本物かどうか、試しにきましたね? そうでしょう?」
 と言いました。

 僕には、そんな気持は、みじんもなく、ただただ、問題の解決の、ちょっとしたヒントでもいいから得られれば、と考えていましたから、
「まったく、そんなことは、考えていませんが…」
 と答えました。

 その後の、彼女(霊能者は女性でした)との、やりとりは、すべてが、ちぐはぐ。
「あなたの、亡くなったお母さんは、こんな方でしたね」
 といった、話も、すべて、大はずれに、はずれていました。

 ◆霊視なんて必要ない

 そのとき、僕が思ったことは、
「ああ、やはり、この世に、特別な人などいない。ただ、自分が特別な人間だと、思いこんでいる人たちが、存在するんだなあ」
 ということです。

 テレビに出てくる、この手の人たちは、事前に、しっかり打ち合わせや取材をしているそうなので、大きなミスはしないようですが、それでも、たまに、生きている人を「霊視」してしまったりするようですね。(笑)
 まあ、ショーとしては、人気があるのでしょう。
 しょせん、テレビも商売ですからね。

 僕は、今、超有名な霊能者を含め、誰かに霊視してもらいたいなんて、まったく思いません。
 自分の前世がどうだとか、オーラがどうだとかいう話にも、興味がありません。

 どう言われても、それが本当かどうか、わからないわけですし、本当であったにせよ、そんな情報には、なんの価値も意味もないと思うからです。

 普通に、常識的に努力しながら、与えられた命を、いっしょうけんめい生きればいいのではないか、と思うのです。

 (C)長谷川 雅一 /本記事の転載、転用を固く禁じます。

カテゴリー: 瞑想者の日記 — admin 12:11 PM  コメント (0)

異次元からのメッセージ

 ■不可知論者の僕に聞こえる声なき声…

 最近、近しい人が亡くなりました。
 葬儀の日の夜、その人からのメッセージが聞こえてきました。

 それは、その人からの、
「浮き浮きした気分で、これから旅立ちます。お世話になりました。ありがとう」
 というメッセージでした。

 こんな風に、僕には、死者の声(らしきもの)が聞こえることがあります。

 いえ、僕は、瞑想はやっていますが、オカルトっぽいことは信じない、というか、あくまでも不可知論者なので、簡単に肯定はしたくないのですが、でも、聞こえてしまうのだから仕方がありません。

「これは、錯覚かもしれない、思いこみかもしれない」
 とも思うのですが、それでも、あまりにも、ありありと聞こえてしまうと、
「これは、本当に錯覚や、思いこみなんだろうか?」
 と、逆の疑問が生まれます。

 真偽のほどは、わかりません。
 個人的な内的な体験であり、客観性がなく、実証もできませんから、真偽は永遠に不明でしょう。

「本当に錯覚じゃないの? 思いこみじゃないの?」
 と問われれば、
「そうかもしれない(錯覚、あるいは思いこみかもしれない)」
 と答えるしかありません。

 でも、僕自身は、
「まあ、死者の声が聞こえても、いいじゃないか」
 と思っています。
 あまり、特別なことが起こっている気がしないのです。

 (c)長谷川雅一 /本記事の転載、転用を固く禁じます。

カテゴリー: 瞑想者の日記 — admin 2:22 AM  コメント (0)